サーフィンの初心者を卒業したとき、『どんなサーファーになりたいのか』が少しずつ明確になっていくものです。
人によっては、ケリースレーターを代表とするパフォーマンスサーフィンに憧れを持つでしょう。もしかしたら、アレックスノストのようなスタイルを目標にするのかもしれません。
ジョエルチューダーのように美しく、ロングボードを操りたい場合もあるでしょう。
ホームポイントはパフォーマンスボードじゃないと気まずくて・・・
波に乗れるようになってきたら、『選ぶサーフボードは完全なる自由』であるべきです。
どんな種類のサーフボードを選んだとしても、それが正解なのです。
ツインフィンに乗ってもいいですし、トライフィンでもボンザーでもロングボードでも、どれを選ぶか決めるのはあなたなのです。どのサーフボードブランドでも、良いのです。
今回の記事で伝えたいことは、『他人の乗りたいサーフボードの種類やブランドにケチをつける権利は誰にもない』ということです。
『地元のショップで買ったボードじゃないと気まずい場所』は、悲しいサーフスポット以外のなにものでもありません。
そのようなサーフスポットは、群れて生きているサーファーたちが作り出した、『海の上にあるくだらない社会』とも言えます。
『群れないひとを追放するという姿勢』は、波乗りの多様性を破壊する愚かな行為です。
どのようなサーフボードを選ぶかは完全なる自由であり、人から強制されるものではありません。
サーフボード選びは自由
このウェブサイト上の記事でも、『◯◯のサーフボードは初心者向け』といったように提案はしてきました。でもそれは決して、そうしなければいけないという決まりではないのです。
サーフボード選びを簡単に説明すると?
サーフボード選びは、いくつかのグループに分かれていると言えます。
- ロングボード
- パフォーマンスショートボード
- オルタナ系のショートボード
などです。
波乗りを楽しむ多くのサーファーは、様々なタイプのサーフボードに挑戦するものです。
しかし、ごく一部の人は『かたくな』にひとつのジャンルにこだわりを持ちます。それ自体は悪いことではないのですが、一部に弊害が出てくるのも事実です。
例えばどんな?
- 自分たちがパフォーマンスボードでやってるんだから他のやつもそうしろ
というのも、そのひとつです。
もちろんその逆も言えます。
- 波に乗れないのはショートボードを選んでいるやつらが悪い
というロングボーダーもそうです。
サーフィンの世界の争いのすべては、『自分たちが◯◯をしているのだから、お前たちもそうしろ』という気持ちから生まれます。
例えを挙げるなら、ロングボーダーとショートボーダーの争いもそうでしょう。
何が言いたいの?
そもそも、この世界にある全ての争いは、『相手を自分と同じ属性にしたい』という欲望から生まれています。
例えば、『青汁、体にいいから毎日飲んでみたら?』というだけでは争いにはなりません。その言葉自体も、『勧めている』だけで強制ではないからです。
ほとんどの場合、『まずいからやだ』と言っても問題にはならないでしょう。笑い話になる程度です。
問題になるのは、『勧めている側』が『青汁を崇拝して信仰してる人』だった場合です。そのような場合で相手側が青汁を拒否したとき、『勧めている側』に『怒り』が生まれます。
どうしてそうなってしまうの?
怒りが生まれる理由は単純で、『自分たちが信じて実行していることは絶対に正しい』という強い精神が存在しているからです。
『お前の健康のことを思って行っているのに』
『こんなにいいものを飲まないなんてどうかしてる』
『青汁を飲まない奴はあほ』
『なんで言っていることがわからないの?』
このような怒りは結果的に、『強制的に青汁を飲ませる』という『暴力』につながっていきます。
青汁であればまだ平和ですが、人類が繰り返してきた戦争の多くも、『信仰するもの』の違いから生まれています。
サーフスポットでの『くだらない争い』も、すべて『信じているものの違い』が生み出しているのです。
サーフボード選びの同調圧力に屈しない
さらにこのような暴力を強める背景に、『集団的優位』が存在しています。
『同調圧力』です。
十人の青汁信仰が激しいグループがいた場合、その中の1人の青汁を飲まない人は、『飲まなければ気まずい』と感じます。
サーフボード選びの世界にも『同調圧力』が、少なからず存在するのです。
サーフィンの世界でも同調圧力があるの?
- 俺たちが使っている板と同じ種類のものを使わないのなら、このサーフスポットに来るな
と真顔で言う人たちは、たくさんいます。それは集団に属して群れているひとたちから出る、『代表的な言葉』のひとつです。それは、一個人で発することができる言葉ではないのです。
サーファーとして何を心がけるべき?
例えサーフスポットのローカルであったとしても、『一個人のサーファー』であることを忘れるべきではありません。
一部のサーファーは、『ローカル』という集団に自分が属していると勘違いをしています。それを自分の強さだと勘違いし、吠えます。
まさに、『虎の威を借る狐』です。
ローカルであっても、『同調圧力』を生み出す『集団』になるべきではないのです。
もちろん、サーフスポットの『暗黙の了解』は守るべきです。ただし、もしもそのルールが明らかに間違っていると感じるのなら、それに対してきちんと声を上げましょう。
集団に属していると、視野が狭くなる・・・
『地元のサーフショップのステッカーが入っている板じゃないと入りにくいサーフスポット』の環境を作り出している人達は、『1個人のサーファー』として、それが間違っていることに気がつくべきです。
小さな島国の小さなサーフスポットが鎖国じみたことをしても、なんの利益にも未来にも繋がっていきません。
サーファーは群れるべきではないのです。
一個人のサーファーとして、自分の乗りたい種類やブランドのサーフボードに乗ってください。
まとめ
自分の信じているものを相手に強制しようとしたときに、『争い』が起きます。
サーフィンは、自由です。サーフボード選びも同様です。
相手が自分の『信仰するボード』に乗っていないからと言って、それに対して否定的な態度も取るのは間違っています。
相手に何かを強制しようするのは、『サーフィン』の世界に存在するべきではないのです。だからこそ、自分の好きな種類のサーフボードを選ぶべきなのです。
群れずに、1個人として、乗りたいサーフボードに乗ってください。
そもそも僕たちは、群れて吠えるために『波乗り』として生きているのではないはずです。
集団に属するために、自分の乗るサーフボードの種類やブランドを決めてはいけません。波乗りをする場所は、誰かが作りだした『社会』や『団体』ではありません。
結局のところ、サーファーとは『海という自然』のなかにいる、1人の人間でしかないのです。
今回の記事は、それを伝えたくて書きました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。