今回の記事は、波乗りから学べる『ブレずに自分の人生を楽しんで生きていくため』の三か条についてです。
三か条は、こちらです。
- 妬まない
- 見返りを求めない
- 許すこと
この3つを人生における指針にするだけで、生きていく上でのストレスを半減できるはずです。
他人を妬まない精神を持つこと
妬みは、イラつきを生みます。
『あいつだけ波に乗りやがって』
と思ったところで、何も変わらないのです。結局のところ、自分のところに波が来るまで忍耐強く待つしかありません。
言っている意味がわからない。
波を、『人生においての成功』だと考えてみてください。
もちろん、動きながら波を待つこともできます。もしかしたらそのせいで、『自分がもともといた場所』に、いい波が来るかもしれません。
そこに別の人がいて、その波にのることも考えられます。だからと言って、その人を妬むのは間違いなのです。
どうして?
誰かを妬んだところで、なんの意味もありません。その妬んでる気持ちを誰かに伝えても、ネガティブな気持ちが連鎖していくだけです。
自分は自分で、他人は他人です。
- あいつだけいいとこ取りしてる
- 自分は他人の成功のための踏み台にされている
と思ったところで、時間の無駄なのです。
どういう心構えでいたらいいの?
それだったらいっそのこと、誰かの階段になるぐらいのつもりでいた方が、人生は楽しくなります。その方が気持ちとして、世の中に開いてるからです。
あなたの仲間が登ろうとしているハシゴを、全力で支えるのです。そうしたらハシゴを登りきった人は、遠くを見ることができるはずです。
仲間が成功したら嬉しい。
そこに見返りがなくたって、あなたは後悔や嫉妬をすることはないでしょう。それこそが、『友人や仲間である定義』なのです。
そうやって誰かのプラスになることを与え続けていれば、巡り巡って自分に必ず帰ってきます。
見返りを求めない親切心を持つこと
与え続けている状態だったとしても、『見返りを求めない』のがとても大事です。
『自分はこんなに一生懸命尽くしているのに』
と考えるのはその人の自由ですが、それではただ単に、自分の行動に酔ってるだけとも言えます。
簡単に説明すると?
誰かを助けたり、親切心を働かせるのは、『見返りを求めない気持ち』が根底にあることが大前提です。自分に見返りがないとわかった瞬間に、『掌を返すような人間』は、根本的な部分で、『自分を満たすためだけに人助けをしている人』だと言えるからです。
例えば、
- 満員電車で誰かに席を譲ってあげた時
- 渋滞している道で、他の車に道を譲ってあげた時
そんな時、相手から何の感謝の言葉や反応もなかったらどう思いますか?
『譲ってあげたのに、なんだこいつ』
と思っていませんか?
他のもので例えたら?
例えば、恋愛の片思いもそれに似ています。自分が一方的に誰かを好きな状態にも関わらず、どこかで見返りを求めているのです。当たり前のことですが、相手から反応がなかったとしても、恨んではいけません。
自分の両親は、自分勝手な生き方をしていた自分に、『見返りを一切求めない優しさと愛』を注いでくれていました。自分がどんなにひどい態度を取っても、間違った行動をしても、それは変わることがありませんでした。
それこそが、本当の意味での『親切心』なのです。
人を許す気持ちを忘れないこと
人を許すことは、とても大事なことです。
サーフィンで前乗りをされた時もそうです。前乗りをされたからと言ってその人を恨んでも、自分の状況は何も変わらないからです。
向こうに非があるのだけど・・・
もちろん、何回も前乗りをされたら腹が立ちます。そのような場合は、100パーセント前乗りをしている方に『原因』があります。
それでも相手を許すことを大前提にして生きていた方が、『切り替え』が早くなります。いつまでも恨みつらみを口にしても、『進展』はありません。
それじゃあどうしたらいいの?
誰かが原因で自分にとってマイナスになることが起きたとしても、パッと切り替えるのです。他人の一挙一動に左右されず、自分の次の波に精神を集中させるのです。
そうすれば、道は拓けます。次の一歩を踏み出す時には、『許したことも相手の顔』も、もうすでに頭にないはずです。
まとめ
今回の記事を書いた理由は、自分自身がそうでありたいと考えているからです。なかなか難しいことではありますが、この三つは常に心に留めるようにしています。
『相手を許し、妬まず恨まず、見返りを求めない』
それができるようになったら、次のステップです。
- 他人を意識せずに、自分のしていることに集中する
そこから、全てが始まります。他人の行動に、一喜一憂している暇などありません。自分の踏み出す一歩に、その次にくる波に、100パーセント全力でぶつかっていくのです。
『恨まず憎まず誰も妬まない、海のように心が広い人間』だらけの世の中になったら、それはそれで、悪くはないはずです。
どうでしょうか?
少なくとも、自分はそう信じています。