サーフィンの世界には、様々な価値観があります。
簡単に言えば、競技サーフィンと『その他』、で分けることができます。
『その他』という言葉を使ったのは、それ以外の表現を見つけることができなかったからです。
自分自身は、『その他』に属しています。
どうして『その他』に属しているの?
自分が『その他に属している理由』は、『自分がしたいサーフィンがその他に属しているから』です。
そしてそれと同時に、自分がどう努力してあがいても、トッププロサーファーがしているサーフィンができないと考えているからでもあります。
簡単に説明すると?
無理して誰かのサーフィンを真似るぐらいなら、自分の肉体ができる『勝手気ままな波乗り』に、明け暮れたいのです。
サーフィンの素晴らしいところは、『自分のできる波乗りの形や価値観』を自由に持てるところです。
例えそれが誰かにとって奇妙なサーフィンだったとしても、好きにすればいいのです。
マイノリティになることとは
競技サーフィンの形を目指すサーファーがマジョリティだとすれば、『その他』はマイノリティです。
それが、一般的な感覚です。
ただ実際のところ、『その他』もマイノリティではありません。
簡単に言えば、『ひとと同じであることが嫌いなひとというグループ』に属しているからです。
何かに例えて説明すると?
それはどこか、『生き方』に似ています。
例えば、『自由気ままにいきたい』というのもそうです。自由に生きる人に憧れて、それを目指している人たちがいます。
それを目指している間は、まだマイノリティではありません。なにかに憧れて生きるというグループである以上、本当のマイノリティでは決してないからです。
オルタナ系の板を買っただけでは、『マイノリティ』になれないと同じことです。
自由に生きたいと願うのは?
自由に生きたいと語る人は、自由ではありません。
その言葉が出る以上、『いまは自由ではないのだ』と言っているのと同じことだからです(自分自身のサーフィンもまだこの段階です)。
集団のトップはマイノリティ
忘れてはいけないのが、『マジョリティのトップもマイノリティ』だということです。例えばパフォーマンスサーフィンを開拓した偉人達は、まさに『マイノリティ』だったのです。
そして現在のトッププロサーファーそれぞれにも、『個性』があります。
じゃあ誰が個性がないの?
個性がないのは、それに追随してしまう他のサーファーのことです。
商業的な意味合いも含め、結果としてそれに憧れる人の数が爆発的に増え、『パフォーマンス型競技サーフィン』が、大多数を占めるようになりました。
だからこそ、それ自体に『個性』がないように映ることがあるのです。
何が言いたいの?
どんなジャンルを選ぼうとも、『自分自身のサーフィンの形』を見つけることができれば、『マイノリティ』なのです。
それこそが個性なのです。
真似をすることと個性を探すこと
最初の段階では、『真似をする』ことも大事です。
どんなプロ選手だって、最初は『模倣』から入ったはずですし、誰かに対しての憧れがあったはずだからです。
例えばそれは有名なトッププロサーファーであったり、もしかしたら自分の父親や母親のサーフィンを目指したかもしれません。
真似し続けていいの?
誰かの真似をして背中を追うのは、どこかでやめる必要があります。ある一定のレベルに到達したら、自分自身のサーフィンの形を探し出すのです。
そうすることで、先人たちが築きたげたものの更に先へ、進むことができるのです。
自分のサーフィンを見つけ出そう
サーファーそれぞれ、骨格も筋肉のつき方も、波の見え方も違います。
それぞれの肉体は、完璧なまでに『個性的』なのです。
波に乗るという目的を達成するための『制約』は、存在しません。自由気ままに波に乗ればいいのです。
一定のレベルまで達したら、自分の形を追い求めてみるのです。
競技サーフィンはどうなの?
競技サーフィンの場合、評価する人間がいる以上、その人の『価値観とルール』によって、評価されてしまいます。
それでも、あなた自身の個性を押し殺す必要はありません。決めたれたルールの中だって、『自分のサーフィン』は見つけられるはずです。
それができたとき、そのサーファーは本当の意味での『マイノリティ』になるのです。