完璧な波を追い求める旅に、終わりは存在しません。
波乗りに夢中のサーファーの多くは、『もっといい波』を探し続けています。もちろん自分自身も、同じです。
それは、『波乗り』の一番の魅力でもあり、人間の本質を示している部分でもあります。
完璧な波は存在しない
この世界には結局、完璧な波は存在しません。どんなに美しい波でも、『欠点』は必ず見いだすことができるものだからです。
それは、サーフィンの世界だけに限りません。
そもそも『完璧』なものなど、この世の中には存在しないのです。
- 完璧な携帯電話
- 完璧な人間
- 完璧な結婚相手
- 完璧な人生
- 完璧なパートナー
どの『完璧』をとっても、必ずどこかに穴があります。それが針が通らないほどの小さな穴だったとしても、それを見つけた瞬間から『完璧ではなくなってしまう』のです。
どういうこと?
顕微鏡でしか見えないぐらいの小さな穴だったとしても、『その穴が見える人』からしたら、それは大きな『不満』へと変わっていきます。
- もっと、いいものがあるはずだ
- もっと、こうあるべきだ
- もっとこうしてほしい
- もっと・・・
このように僕たちは、自分以外の何かに『完璧であること』を求め続けています。サーファーは波に対して、完璧であることを求めているのです。
完璧な波は見つからないの?
『思い描く完璧な波』は、まるで雲のように、つかもうとした指の間をすり抜けていきます。
結局、機械で思い描いた波を作り出せるようになるまでは、その旅を終わらせられないのが人間なのです。
サーフィンを始めたばかりの初心を忘れないようにする
人間はどんな時でも、さらなる高みを求め続けます。だからこそ人間は、ここまで文明を発達させてこれたとも言えます。
簡単に説明するとどういうこと?
鳥のように空を飛ぶことを夢見た偉大な兄弟が、『飛行機』を作りだしました。その当時は誰もが、『飛ぶこと』に感激して、拍手喝采を送っていたはずです。
それが、今ではどうでしょうか?
自分を含めて多くの人が、旅行に行く度に飛行機の文句を言っているのです。
- 長いフライトだ・・・
- 狭くて足が痛い・・・
- 隣の人のいびきがうるさくてねれない・・・
Etc..
ライト兄弟がもしも現代に蘇ったら、びっくりして開いた口がふさがらないことでしょう。
自分以外の『なにか』に対して要求と模索を繰り返すことは、『痛み』や『苦しみ』も伴うものです。
完璧だと思っていたサーフボードも、欠点を見つけた時点で『マジックボード』ではなくなってしまいます。幸せだと感じていた気持ちは、その時点で幻のように消えて無くなってしまうのです。
サーフィン以外だと?
結婚生活や恋愛も同じです。相手に小さな欠点が見えたら、ほとんどの人がそれしか見えなくなってしまうものなのです。
その穴がたとえちいさなものだったとしても、人間の本質上、見て見ぬ振りはできないのです。
周りにある小さな幸せを見つける
完璧を追い求め続ける以上、『幸せ』は見つかりません。完璧なものなどこの世には存在しないからです。
自分の知り合いのサーファーに、『完璧な波』を求め続けている人がいます。その人は、『完璧ではないけど楽しめる波』では、『幸せ』を感じることができません。
どうして?
完璧な波を追い求めているだけのサーファーは、波に対して常に『文句』を言います。それが完璧ではないと、本人が思っているからです。
『こんな波ではサーフィンしたくない』
『波が悪いからつまらない』
『完璧な波じゃないと楽しめない』
という気持ちでいっぱいで、その瞬間を本人が楽しめていないのです。
それを続けるとどうなるの?
その人の人生は、『完璧な波という亡霊』を追い続けることになります。掴んだと思ったら消えてしまう『完璧』という名の亡霊を、追い続けているのです。
もちろん、それも決して『悪』ではありません。最初に述べたように、『完璧な波』を追い求めることもサーフィンの魅力の一つだからです。
でも、忘れてはいけない気持ちが一つあります。
それは、
『目の前にある波に感謝して、その瞬間を全力で楽しむこと』です。
サーフィンを始めたばかりの頃の、オンショアの波でも楽しんでいたあの気持ちを、忘れないでください。
オンショアの風が吹き荒れていても、ぐちゃぐちゃの波でサーフィンをしていたとしても、1つだけでいいから、『良かった』と思えることを探すのです。
穴や欠点を探すのに必死になるよりも、そっちの方が『幸せ』だと思いませんか?
僕自身は欠点だらけの人間ですが、波乗りに対しては前向きに、そう考えるようにしています。