どの世界にも悪い人はいます。
この言葉が全てを説明しています。海好きであっても、波が大好きなサーファーでも、悪い人はいるのです。
例えばどんな人?
ポイ捨てを、どこでも御構い無しにするサーファーもいます。
初心者サーファーに対して、まるで人間性のない、悲しい暴力的な言葉をぶつけてくる人もいます。
サーファーにも悪い人がいるんだ・・・
そんなことをする人は、僕からしたら『悪人』です。多くの人が、その人は悪人だというはずです。
でも、それを『正義』だという人も、この世界には少なからず存在するのです。
今回の記事では、それぞれの立場の『善』と『悪』について考えていきたいと思います。
サーファーの善と悪の間にある感情は?
そもそもよく考えれば、この言葉じたいが不可解です。
- 海が好きなサーファーに悪い人はいない
という言葉は、『自分が悪い人間ではない』という前提で発せられるものだからです。
どういうこと?
もしもその言葉を言った人が、極悪非道の悪人だったら、ものすごく不自然になる気がしませんか?
そもそも、善と悪の定義ってなんでしょうか?
僕は悪かもしれないし、善かもしれません。だれかにとって悪いことをしたことはあったかもしれないし、そうでない場合もあるのです。
あなたが自分自身を『善であり正義』だと思っていても、それは誰かにとっての『悪』かもしれないのです。
『悪』が存在しない世界などない
悪を見なくてもいいおとぎ話など、この現実世界にはありません。サーフィンの世界も同じです。
サーファーにも、悪い人はいます。道徳観ゼロでルールを守れない、前ノリを繰り返す人も沢山います。
他には?
お前はローカルだからと、自分の子供に前ノリをさせるひとも見たことがあります。
プラスチックのゴミやタバコの吸い殻を、ビーチに平気で投げ捨てて行く人もいます。
その人たちを改心させないと・・・
そういう人たちを変えることはできません。その人たちにとっては、それが正義であり、善だからです。
逆側の立場でできることは、とても単純なことだけです。
だれかがもしもポイ捨てをしたら、それを拾うのです。それだけです。子供に前ノリをさせる親がいても、言葉で正すことはできません。
どうやったら相手を変えられる?
- 自分が信じるルールを、守り続けること
その背中をみた人たちに、自分たちの意思でどちらが正しいか判断をしてもらい、次にとるべき行動を選んでもらうのです。
それしかできないのです。
他人の意思を強制的に変えることはできない
相手が信じる何かを変えるのは、とてもエネルギーがいることです。それ自体を相手が正義だと思っているのなら、なおさらです。
なんで強制的に変えられないの?
戦争の歴史を見ても、『信じるものの違い』が争いを生み出してきたことがわかるはずです。
相手に自分の考えを伝えたあとは、『向こう側の意思』で変わるのを待つしかありません。
なにかを強制的に変えようとするとき、『暴力』が生まれてくるのは、歴史が説明しているはずです。
まとめ
自分の正義は、誰かにとっての悪になります。
自分の何気ない行動が、ひとを傷つける凶器になることだってあるのです。
それは、誰かにとって間違っていることなのかもしれません。
もしかしたら、相手が正義かもしれない。相手のやっていることが、善である可能性もあるのです。
それを忘れてはいけないのです。
どう思いますか?
今日書いた言葉が、善なのか悪なのか、自分でもわからなくなってきました。
あなたが今日これからする決断は、どちらですか?
善でしょうか。それとも悪でしょうか。