サーフカルチャーは、変化をし続けています。サーフスポットもそうですし、サーファーもです。
- だれもいないサーフスポットだったのに、今はたくさんのビジターサーファーがいる
- 昔は厳しい世界だったのに今は生優しい
- いいバンクがついていたのに消えて無くなってしまった
- ロングボーダーが増えたせいで波に全然乗れなくなった
簡単に周りを見渡すだけでも、サーフカルチャーは『変化』だらけです。でも結局のところ、そんな変化に対してできることはひとつだけです。
ただただ、現実に直面する変化を受け入れることしかできないのです。
カルチャーが変わり続けるサーフィンの世界
変化に逆行しようとすると、怒りや苦しみが生まれてしまいます。
- 昔はこうだったのに、全く最近のサーファー達はなってない
- 秘密のサーフスポットだったのに、ビジターだらけになって腹が立つ
- ロングボーダーが増えてるせいで、自分がのれる波が減ってしまった
- だれかがsnsで投稿したせいで、まったく状況が変わってしまった
などなど、数え上げればキリがありません。
どういうこと?
昔にはなかったことが起こるのが、今この瞬間です。それを跳ね返そうとすればするほど、疲れてきてしまいます。
変わらなければよかったこともたくさんあるし、そのままの方が良かったこともあるのかもしれません。
でもすべてが、昔の方が良かったというわけでもないはずです。
いっそのこと、
『昔はこうだったけど今は変わった。それなら自分も変わって、一緒に楽しもう』
と受け入れたほうが、よっぽど健康的なように思えるのです。
そうすると、いままで自分を苦しめてきた『変化』は、追い風に変わってくるのではないでしょうか?
自分自身はそう信じて、変化を受け入れていきたいと思っています。
カルチャーの変化に対応するための方法
もちろん、僕は完璧な人間ではないので、ときどき腹が立つこともあります。
前乗りをされて放り出してきたサーフボードが、愛用する板にぶつかったらカチンとしてしまいます。
静かだったサーフスポットに、初心者集団で入ってこられるような『変化』に、嫌な気分になる時もあります。
それでも、嫌な変化にすったもんだするよりも、前向きに受け入れてすべてを許す姿勢でいたほうが、笑顔でいられるように思いませんか?
変化は悪いことではありません。悪いと思っている人がいるということは、その反面、救われている人だっているはずです。
そんなのどうでもいい。
自分本位で物事すべてを思うままにしたいのであれば、行く先にあるものは争いだけです。
たとえば、相手に脅迫じみたことをして、ローカルオンリーのサーフスポットから追い出すことはできるでしょう。
でもそれが結果として、他のサーファーの不満や新しい怒りを生み出すのです。
その先に何がある?
『自分達だけが良ければそれでいい』という単純な発想は、次の争いを必ず作り出します。
悪いのは、悪いことをしたひと、ひとりだけです。罰せられるべきなのは本来、その人だけであるべきではないのでしょうか?
悪い人が1人いるから、そのグループ全体を罰するという発想は、狂っているようにも思えてしまうのです。
自分を正当化せずに他人を想う大切さ
ゴミを捨てたビジターがひとりいた
ビジターのせいだ
来週からビジターは全員禁止
駐車違反をしたビジターがひとりいた
ローカルを守らなきゃ
来週からビジターは全員立ち入り禁止
これも1つの例なのかもしれません。
考えてみればそれは、どこかの国が戦争を始めた理由と、まったく同じです。
核を保有しているテロリストがいるから、悪い国だ。国民全員が関わっているに違いない。さあその国と戦争を始めよう。
そんなふうに、自分が国全体を攻撃する理由を正当化するのです。悪いことをしたのが、もともと誰だったかなんてどうでもいいのでしょう。
その戦争の先にあった結末を、僕たちは知っているはずです。
カルチャーは、変わり続けています。それに伴ってサーファーの人数も、増え続けていくことでしょう。
それと一緒に、サーフィンの世界全体が変わるべきなのです。
その変化を受け入れるのか拒むか、どちらかを選択するかで、サーフィンの未来は大きく変わってくるはずです。
少なくとも僕は、そう思います。