サーフィンを続けること。
それは、世界中のサーファーにとっての願いでもあります。自分自身にとってももちろんそうで、できることならこの世を去るその日まで、サーフィンを続けて行きたいです。
ただ、なにが起こるのかわからないのが人生です。
腰痛や怪我で、海から離れてしまうことだってあるでしょう。首の手術をして痛みが取れずサーフィンを辞めてしまった人も、自分の知り合いにいます。
波乗りを愛してやまないサーファーからすれば、サーフィンができないのは苦痛です。
今回の記事では、『もしも自分がサーフィンをできなくなったらしたいこと』について書きました。
違う趣味を見つける
サーフィンから離れたら、違う趣味を探すのもひとつです。
他にどんな趣味がある?
例えば、スノーボードはどうでしょうか。肩の痛みでパドルができなくても、スノーボードならできるはずです。新しく見つけた趣味が、サーフィンより自分に合っている可能性だってありえます。
自分のようにぎっくり腰になってしまうとスノーボードは難しいですが、ムリのない範囲でできることを探すのもひとつです。
まともに動けない・・・
サーフィン以上の趣味が、スポーツのジャンルに見つからないことだってあり得ます。そうなったら、盆栽でも将棋でも、楽器でも、手当たり次第で挑戦してみてもいいかもしれません。
自分の知らない才能が眠っているかもしれないですし、やってみて失うものなどないのですから。
サーフィンの楽しさを伝える
首や腰が痛くてサーフィンができなくても、サーフィンの楽しさを伝えることはできます。それが数珠のようにつながって、誰かの波乗り人生のきっかけになることだってあり得るのです。
教えられることなんてない・・・
指導者になれなくても、波乗りの楽しさを誰かに伝えることができれば、結果としてサーフィン業界を盛り上げることになります。
恩返しと言ったら大げさですが、自分の人生を輝かせてくれた波乗りへの小さな感謝を、伝えられるときです。
海を綺麗にする
海をきれいにすることは、サーフィンができなくたって協力できます。目の前に落ちているゴミを拾うだけでも、小さな力になるからです。
そんなことをしても腹が立ってくるだけ・・・
もしかしたら、ビーチにゴミを捨てた誰かに対して怒りを覚えるかもしれません。それでも、ゴミを拾い続けていれば、その姿は誰かの目に必ず止まります。
見ていた人に少しだけ気持ちの変化が生まれて、ゴミをポイ捨てするのをやめるかもしれません。ポイ捨てをした人が10年後には、ゴミを拾う側になっているかもしれないのです。
無駄だと思っても、ガムシャラに続けていくことが一番大事だと、自分は思います。
写真を撮る
波の美しさや、サーフィンの魅力を伝える方法は他にもあるはずです。写真を撮ったり、絵にしてみたり、アートと波乗りはいつだってつながっています。
自分の場合はサーフィンができなくなってしまっても、写真は撮り続けていこうと思います。
それがなんの役に立つ?
自分の行動や撮った写真をみた人が波乗りに興味を持ち、もしかしたら将来の日本サーフィンに多大な影響を与え、もしかしたら将来のレジェンドになるかもしれません。
誰かの人生を変える写真やアートが創れたら、それだけですこいことだと思いませんか?
まとめ
どんなにストレッチやトレーニングをしていたって、サーフィンに怪我はつきものです。痛みと向き合いながらするサーフィンは大変ですし、回復した後だって不安が付き纏うことになります。
また同じことが起きてしまうかもしれない。
ぎっくり腰になりかけて海に入れなくなった自分は、そんな風に思いました。結局すぐに良くなったのですが、今でも頭をよぎることがあるのです。
目の前にきれいな波が割れているのに、サーフィンができない。
そんな時に僕たちが、サーフボードの代わりに持っているものはなんでしょうか。
カメラ。
絵具。
スノーボード。
筆。
盆栽。
拾ったプラスチックのゴミ。
どれを手にとったとしても、何かワクワクすることが、起こるような気がしてきませんか?