サーフィン人生の中で、海に行けない時期というのは誰もが経験しうることです。
例えば、
- 肩を痛めてしまったり
- 仕事が山積みで海を眺める時間すらなくなってしまったり
- ぎっくり腰になってしまったり
- 子育てに追われる毎日になったり
- 転勤することになってしまい海から離れることになったり
- etc…
人それぞれに理由があり、サーフィンができずに四苦八苦している人もいることでしょう。
海に行けないのはきつい・・
自分自身も一ヶ月ほど、そんな状況に陥っていました。
そんな状況で忘れずにいたいのは、海は変わらずに、いつでもあなたが戻ってきてもいいように、そこにあり続けるということです。
一年経ってしまったら、もしかしたらサーフィンの技術が少し衰えてしまうかもしれません。
2年経ってしまったら、たくさんのいい波を見逃していることにもなります。そんなことを考えたら、サーファーならどんどん息苦しくなってくるものです。
一ヶ月海に行けなかっただけでも、自分にとっては長く暗いトンネルを走っているようなものでした。
それでも確かなのは、また来週にいい波がやってくるということなのです。
海に行けなくなって何年たっても、サーフィンは再開できる
3年後にだって、サーフィンは再開できます。5年後も10年後だって同じです。腕は衰えてしまっていたって、海がそこにあるからです。
でも上手くできないのかもしれない・・・
そのときに考えるべきなのは、『昔の自分と比べる必要はない』ということです。
- 昔はあんなにできたのに・・・
- あの頃だったら今のはメイクできてたな・・・
こんなことばかり考えていたら、楽しい波乗りが昔の自分との虚しい背比べになってしまいます。確かに昔のように動けなかったり、パドルもままならないこともあり得るかもしれません。
それでも、
『一度初心に戻るきっかけをもらえたんだ』
とドーンと構えていたほうが、サーフィンを思う存分楽しめるのではないでしょうか?
技術の向上だけがサーフィンの目的ではない
サーフィンはもちろん誰もが上手くなりたいですが、それだけを目的にすると『楽しむ余裕』も無くなってしまいます。
どういうこと?
長い年月を経てサーフィンに戻るときに、誰もが心配するのが『また波に上手く乗れるできるかどうか』ですが、それだけがサーフィンの目的ではないはずです。
海に行く前のコーヒーだったり、仲間と盛り上がる波の話、ずっこけて恥ずかしい思いをするのだって、その全てがサーフィンなのです。
衰えてしまった技術や体力と引き換えに、もしかしたら波の水面を眺める余裕ができているかもしれません。
波乗りとして年を重ねていくことは、技術の向上だけに目を向けることではない。
そう思うことだって、きっとできるはずです。
サーフィンから離れると違う視点が生まれる可能性がある
車で通り過ぎるだけでは絶対に気がつかなかった美しい景色を、散歩して見つけた経験はありませんか?
それはサーフィンでも同じなのではないでしょうか?
歩いているからこそ見える景色もありますし、一度立ち止まったからこそ気がつけることだってあるように思えるのです。
だからこそ、月日が流れてしまって昔のようにできないからと、サーフィンを諦めてしまうのはとてももったいないことです。
5年間サーフィンをしてなくても、それが10年後でも、海はそこにあり続けます。
いまサーフィンができていない方は、再び海に入ってあの瞬間を楽しむその日を、『糧』にして生きるのも一つの選択肢です。そしてそれと同時に、10年後に海に入れるように、こっそりとイメージトレーニングを続けていくのです。
環境破壊やビーチの開発、大きな原油タンカー事故など、心配事がないわけではもちろんありませんが、僕たち人類が度を超えた選択をし続けない限り、50年後にだってきれいな海できっとサーフィンができる。
自分はそう信じています。